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POP SAURUS 2001 ライブレポート

9.24 沖縄 宜野湾市海浜公園野外劇場

生涯最高の夜とビール (3)

どこからか「星になれたら」が。でも今日は特別な日。田原健一の誕生日!「ハッピーバースデイ」がどこからともなく始まり、そして最後には「健ちゃん」コールが巻き起こり、そのなかでミスチル再登場!

 ん、桜井氏何かを持ってる。おお、あれは大門サングラス!!渡哲也ご愛用のサングラスではないのか?「ツアーの最終日が誕生日だなんて、なんてラッキーなやつなんだ!」。健ちゃん照れる。「今日は特別に浜田省吾バージョンでハッピーバースデイを唄います!!」大爆笑の渦の中「ハァ~ピィバァスディ(一旦切る)ツゥユゥ(歯切れ良く) ハァ~ッピバァスディ・・・」とものすごく浜省そっくりに歌い上げて(身振りも同じで)いただきました。ただただ周りは爆笑!敬輔さんが大笑いする姿が。ファンからの「おめでとー!」の声に(もちろんカリスマタハラーの声が一番でかい)ギターでこたえるあたり、健ちゃんらしかった。

 「everybody goes」ここです!みなさんここなんです!スナイパーナカケーが現れたのは!健ちゃんが多分そっちサイドに行ったから?と思ったけど違う!あれは自分で真ん中に来たのよ、あのナカケーが!いつも逆サイドに行くのがめんどくさそうな感じの(笑)あのナカケーが自ら真ん中にやってきてあたしたちをあおるあおる!!思わず「敬輔かっこいい!!(>_<)」と悲鳴を上げてしまいました。

 あんなの反則よ、違法行為よ!スナイパーは確実にあの中で8人中3人くらいは撃ち落としてたね。あたしも軽く負傷してしまいました。ああ長様ぁ(涙)と長様を見るとこれまた笑顔で。んもう、好きv

 そしてメンバー紹介だ!「ドラムス 鈴木英哉!!」長様両手を上げて立ち上がりると「バチ!!」という音。「お、おぅ?」長様一瞬焦る。そう、テントの梁にスティックがぶち当たったのだ!「おぅ!おぅ!」とちょっと困った顔で何回も試みるがやはり当たってしまうのであった。思わず私も「おぅ!おぅ!」と同じように両手を上げて引っかかる様子をまねてしまいました(爆)たとえるなら「卒業」で教会の窓を叩くシーンを思い浮かべていただきたい。

 「innocent world」いつものように一番を唄わせてくれない!そう、一曲一曲噛みしめるんだったね。だってこれはあなたが作ったうただもんね。桜井和寿の歌を聴いた。

 そして全員が前に出てくる。もう「JENコール」がやまない!長様は声援に応えて前に出てターンを決めタンバリンをもてあそぶ。爆笑の後桜井氏の横へ。そしてあたしには桜井氏と何かしようと思ったように見えたんだけど、桜井氏の腕をとって一緒に前に出ようとしたらまたJENコールが。長様「へっ?」という顔をしたが、そこは鈴木英哉、みんなの期待に応えて再登場!またまたターンをきめ、カメラに向かって誘うポーズをした後、指を鼻の穴に持っていき鼻〇ソをはじき飛ばした(笑)。そうやってみなの期待に応えた後、元の位置に戻る。

 で桜井氏が話し出すと桜井氏の飲み物をとりチューと吸っていた。それを桜井氏見つけると「それは俺の水だよ!(笑)」と叱る。31歳、盗み飲みで叱られる。密かに「だってのど乾いたんだもーん」と言っているのを見てしまった!かわいい。

 そしてまた桜井氏の話に戻る。そのとき長様は確実に疲労の表情を浮かべていたのをあたしは見逃さなかった。汗なんか拭いた入りしてさ。ああ、無理したのねいま。大変だね、といたわりの目で見つめたわ。だって31歳だもんね(笑)

 確か「独り言」は名古屋ではサポートメンバーもいたような気がしてたけど、沖縄では4人だけだった。4人だけの「独り言」だった。やはり長様のハープは素晴らしかった。歌が終わると長様はスキップで、後半モンローウォークで定位置へ移動(爆)

 そして「もう一度みんなの声をきかせておくれー!」「優しい歌」がはじまる。実はもう既にあたしは何回も泣いていた。いろんな場面で感情がこみ上げてきていた。「うわーん」と泣いてしまいそうだったのを必死で我慢していたのに、この歌ではついに「ううっ」と言ってしまった。我慢できないよ。だって「優しい歌」なんだよ。「群衆の中に立って空を見れば」でみんなが空を見上げた。「星になれたら」に続く、お約束ができそうだ。

 そしてやはり沖縄といえばこの曲でしょう。「ここでやらなきゃ意味がない曲をやります!」「1999 夏 沖縄」。やはり歌詞は一部変えられていた。

「時の流れは速く もう30もすぎたけれど」 「そして2001年夏の沖縄で とりあえず僕らの旅もまた終わります 愛する人たちと 愛してくれた人たちと 世界一の酒を飲み交わすのです 最後の曲が終わり 音がなりやんだ時 あぁ僕はそこで何を思うのだろう  選んだ道とはいえ 時に険しくもあり 些細な事で僕らは泣き笑う 」 「いろんな街を歩き いろんな人に出会う これからだってそれはそうなんだけど そして今想うことは たった一つ想うことは」

桜井氏はここをとても感情を込めて歌った。
「あぁ いつかまた沖縄で歌いたい あぁきっとまたあの街でも歌いたい あぁ そして君にこの歌を」
「聞かせたい」は高めのアレンジで歌った。声を張り上げ歌ったそれはとても心に響いた。

 とうとうあたしとミスチルの夏は終わった。今日の1曲1曲を大切に、家まで持って帰ってください。僕らもそうするつもりです。今夜は本当にありがとう!また会いしょう!バイバイ!」

 ミスチルが去った後、誰もその場から立ち去らない。ずっと拍手を続けてる。アンコールを期待してる?でもアナウンスが流れてそれがないのはわかってた。けどだれもその場を動かなかった。ずっとずっと拍手がなりやまない。映画のエンドロールのようにスクリーンに映し出される文字たち。結局それが終わるまで観客はその場から動かず、ずっと拍手をしていた。素晴らしい時間をくれたミスチルに感謝を示すために、讃えるために。

 ツアースタッフたちも拍手していた。スタッフとメンバーはとても良い関係なのだろうなと、ライブの途中でも想った。かわうそくんがすべてのスタッフに握手を求める。やはりスタッフも長様らしい。
 とにかくありがとうって叫んだ。本当にこんな素敵なライブと、音楽と、人とに出会わせてくれたことに感謝していた。さみしくてさみしくて仕方がなかったけど、でもまた会えるんだってそう思った。英哉、英哉って何回も叫んだ。

 あたしは今回のレポでは長様よりも桜井氏に重点を置いてる。それはやはり、位置的に桜井氏の右腕のくの字のところからしか長様が見えなかったせいもあるけれど、今回はヴォーカリスト・桜井和寿の力に引き寄せられてしまっていたのだ。「歌うために生まれてきた人」その数少ない職業に就くべき人は間違いなく桜井和寿だと森田恭子さんは言った。あの夜はいつもにましてそれを実感した夜だった。天才だ。彼のこそが音楽の神様に愛されているのだと想った。桜井和寿の歌の前にはすべてがひれ伏す、そんなことさえ思った。

 9月24日のライブは生涯で最高のライブだったといえるだろう。きっとこれから先もあれ以上のはないのではないかと思う。そう思うと少し寂しいけど・・。可能性があるとすれば、これから先もミスチルが沖縄でライブをし、幸運にもあたしがそれに参加できれば、だろうと想う。それくらい、最高の夜だった。幸せな夜だった。好きな人と初めて一緒に過ごす夜くらいかな。もっとかな。いや、すでに好きな人と過ごした夜だからな、それ以上だな(笑)。

>shinobuっちへ
とってもたのしかったね。なんというか、久々にチルファンとライブを見ましたが、なんとも楽な気分でいられました。いつもは友達に少し気を使う部分があったけれど、カリスマタハラーなんでほっといても全然OK(笑)だったんで集中できました。またshinobuっちと一緒にライブが観たいです!絶対にまた行こうね。

>裸族へ これは決定です、いや、裸族名古屋支部広報部長という管理職の立場にいるものとして命令を出します。「裸族はかならず沖縄に集結すること!!」タハラーもカリスマによって命令が出されていることでしょう。あたしも3ヶ月前からミスチル基金と名付けてお金を貯めました。短期間だったのでとても負担がかかったけれど、代え難いものがあります。ホテルだけみんなと一緒にするのでパック旅行は使えないけど、でも集う必要がある!見る必要がある!決定です!!

 終わった後、何が言えたかというと「ミスチルーーー!!好きv」です。これしか言えなかった。会場の出口でビールが売られてた。思わず買って飲んだ。ライブの直後に飲むのは初めて。うまい。  あの夜電話したみんな、何言ってるかわかんなかったと思う、ごめんね。聞いてくれてうれしかったよ。「英哉に誓う」ってのは嘘じゃないわ。これからもあたしは愛し続けます!

written by ひかる

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